世界に冠たるネズミ嫌いの理由
ヤホージャパンもいい加減レッドカード発行してくれんものか
毎日毎日、表示名変えての自動巡回をさ
あれ気持ち悪がってる利用者多いですぞ
イラッとくる理由に、『暦に合わせ、人目引く言葉入れる』
何人が釣り上げられるのやら、それはそれで興味はあるけど
本日は、以前アホーDaysとアメブロ別荘で書いた内容の編集版を
記事題名に登場するネズミ、より正確に発音すれば、ネズミー
ウォルト・ディズニー関連を指します
中年以上は概ね、御大の昇天した1966年辺りが
奇しくも、アタクシの誕生年が、ネズミー系没落開始と見ております
存命中の作品群、例えば…
‘1928-Steamboat Willie-Walt Disney’
‘Heigh-Ho - Snow White and the Seven Dwarfs’
‘FANTASIA - 1940 - Walt Disney’
‘Mickey Maestro - William Tell Overture’
以上、観たけりゃ、自分で探して下さいと書いておき
‘白雪姫’(1937年)は、上海辺りで戦前に観た日本人に言わせれば
「こんなスゴイの作る国に戦争ふっかける方がオカシイ」
こんなスゴイのを映画館やTVで観て育ち、ここ20年ほどの間のを観たら
「CG過多使用による視覚と思考への欺き」
「過去の遺産で飯食うを含む商業主義丸出し」
御大自身、後ろ暗い部分が多々あるものの…
‘未知との遭遇’(1977年)で♪星に願いを使用したスピルバーグ監督によれば
「当時は、簡単な手続きで許諾もらえた。いまであれば、絶対不可能な話」
辞書何十冊並みの厚さの書類群と、天文学的使用料、それでも?
いくら権利関係を子供のうちから学ばせるためとはいえ
日本の小学校校庭からネズミの顔削除命令、オトナのやる真似かよ?
米国のネズミー系某所でなど、日本人の立ち入らない場所において
日本の某キャラほぼ完全パクリを正当化するため、原型を一緒に展示
日本側がパクリをデッチ上げ。と、純朴なアメリカ人に刷り込んでるそうな
(目撃して呆れた日本通アメリカ人から伝えられた情報)
…いまの会社、やり過ぎやろ
現代の一般日本人は、知らぬが仏
だから単純に成人式以降も楽しいと喜べるオメデタさ
内情や暗黒史を知った上で割り切り
オトナらしく楽しめるならば自己責任においてですけど
某男性タレントはネズミー嫌い
ただ家族サーヴィスのためランドやシーへ行く事も
親子揃って理不尽な目に遭いながらも
「仕方あるめえ」と諦めを持って遊ぶみたいにね
ただですな
政治との関係プロパガンダ映画の制作
1941年12月8日の太平洋戦争の開戦と第二次世界大戦へ参戦したアメリカは戦時体制への協力を国内産業へ求めた。映画産業に対しても協力を要請するが当初は成功しなかった。検閲や行政指導ができない上に高度に資本化された映画産業は政府の要請よりも利潤追求を優先させている。
しかし、ディズニーは大衆がヨーロッパに関心を持ちはじめていると気づくと「反ドイツ」の色を薄めた「反ナチス」の形で戦意高揚のプロパガンダ映画を制作した。大衆文化史の研究者にはディズニーが孤立主義から友邦の援助へ大衆の意識が変わっていたのを見抜いた上で統合の象徴としてミッキーを選択させた点や、彼が没した今日でもミッキーマウスは「アメリカの象徴」として自己増殖を続けている旨を指摘するものもいる。
政治家や政府のプロパガンダにより大衆を説得することは難しい(出典『心理戦争』)。しかし大衆自身が願う形へミッキーを作り変える作業を続けることでディズニーは成功を収め、同時にアメリカ政府を顧客とすることにも成功した。戦後もディズニーは政府の核実験、原子力開発キャンペーンのプロパガンダに参加している。
大戦当時に同スタジオで製作された以下のアニメ映画には、ミッキーマウスが戦闘機で日本軍の零戦を撃墜するシーン、アニメ映画「総統の顔」には昭和天皇を風刺するシーンがあるが、これらは国の要請や強制を受けたものでもなく、ウォルトが積極的に自ら制作したものである。
・空軍力による勝利 Victory Through Airpower(1943年)
・新しい精神 The New spirit(1943年)
反共姿勢
第二次世界大戦後、生前のセルゲイ・エイゼンシュテインと親友だったことなどから、当時吹き荒れていたジョセフ・マッカーシーの「赤狩り」の嵐に巻き込まれる。彼は公聴会に出頭し、「(冷戦前の)ソ連に『三匹の子ぶた』(1933年)を売ったことがある。非常に好評だった」と証言している。最終的には無実とされた。この様な形で赤狩りにこそ巻き込まれたが、戦時中や冷戦中、自らが版権を持つキャラクターを軍や政府に無償で提供したり、自社の労働組合と激しく対立していた事から、当人はむしろ熱烈な愛国主義者、反共主義者と考えられている。
この様な指摘に対して、ジャーナリストのニール・ゲイブラーは「ウォルト自身はノンポリで、政治に関しては特別関心を持たなかった」と指摘しているが、『闇の王子ディズニー』を著したマーク・エリオットは、「赤狩りの時代に、ウォルトはハリウッド内の映画人達の思想についてFBIへの熱心な密告者であった」と指摘している他、ディズニーランドのモノレールの開通時に、アナハイムの近隣のヨーバリンダ出身で、赤狩り時代にマッカーシーに近い反共主義者で知られた共和党選出のリチャード・ニクソン元副大統領(後に大統領)を招待している。
なお、7年に及ぶ調査とディズニー社の事前チェック無しに出版されたゲイブラーの執筆による伝記、「Walt Disney」(邦題:創造の狂気」)の中では、大戦中のプロパガンダへの協力姿勢は、当時、労働組合との争いや大戦による海外市場の縮小により、経営が圧迫されていたスタジオの生き残りのための方策の一環であったこと、彼にとっても政府への協力には意義を見出していなかったことが記述されている。同時に、戦後の赤狩り時代、彼の反共的な姿勢は、労働組合によりスタジオが壊滅的打撃を受けたことにたいする嫌悪感であったことを指摘している。ともあれ、ウォルトは最晩年の1964年には、右派の共和党員として、大統領選に出馬したタカ派のバリー・ゴールドウォーターを熱心に支持していた。
人種・性差別姿勢
ゲイブラーは、ウォルトが製作したミュージカル映画『南部の唄』での黒人の描かれ方から、ウォルトが人種差別主義者のレッテルを貼られたことについては、「製作に熱中するあまり、人種に関する配慮に欠けていたのだ」と主張している。ウォルト自身は読書をほとんどせず、世相に対して鈍感な面を持ち合わせていたというのである。 この『南部の唄』は、公開直後から「全米黒人地位向上協会」(NAACP)の激しい抗議を受け続けており、アメリカ本国では再上映やビデオ化が阻止され、「幻の作品」となっている(日本でビデオ発売が実現したが、廃盤)。
しかし、ウォルトに対する「白人至上主義者」、「人種差別主義者」との批判は、彼が死ぬまで浴びせられ続けたものであって、別に『南部の唄』に限ったことではない。ウォルトは『南部の唄』では封切りイベントに主演の黒人俳優を出席させなかったし、『南部の唄』の以前にもその二年後にも、ミッキーマウスやミニーマウスがアフリカで、野蛮で猿のように描かれた黒人を差別的に扱う民族侮辱漫画を出版していて、現在も批判の対象となっている。また、彼は死ぬまでディズニー社の要所に黒人と女性を雇い入れなかった。彼の制作した作品群のほとんどすべてに、様々な民族に対する彼の白人中心視点から成る人種差別、および男尊女卑的な性差別が指摘されている。
( Wikipedia:『ウォルト・ディズニー』より引用 )
‘Victory Through Air Power (final) part 10’
後者、‘空軍力の勝利’最後の場面は
東京に空爆、空襲によるホロコーストによって米国の勝利バンザイ三唱
1943年製作ですからね…軍に東京大空襲をけしかけてるワケのネズミー御大
何かと一筋縄でいかない、複雑怪奇なネズミー御大ではありますが
(熱心に支持していたバリー・ゴールドウォーターにも言える)
アコギな商売やってたのはウラ話でわんさか
1992年開園のユーロ・ネズミーランドが
並みの遊園地程度の盛り下がりぶりに対して
1983年開園の千葉なのに東京ネズミーランド
どこまで膨張するねん級盛り上がり
これには、‘エスクァイア’誌に面白い考察があります
「ウォルト・ディズニーから最も多く学んだのは
スティーヴン・スピルバーグやジョージ・ルーカスでなく、日本だったかもしれない
何故なら、ウォルト・ディズニーは(つまり、日本も)
『正確で、清潔で、面白さに欠ける、機械的なものの先駆者』
だったからだ」
夏休みってんで、浦安ネズミーランドは家族連れわんさかですかね
見た目はアラサーアラフォーでも、頭の中身は永遠の幼稚園児なバカップルもさ
ま~満喫してくれたって熱中し過ぎて熱中症バタリならなけりゃお好きに
アタクシが小中学校の先生であれば
ネズミー史研究してからランドやシーでの探察日記書く子を
将来、酸いも甘いも噛み分ける立派な大人になれると評価しますがね~