mathichen 雑記帳【Hatena版】

ウェブリ休憩所の保存庫

父親の愛と生涯

父親としての一徹

一徹というキャラクターは、日本でもっとも有名な父親像のひとつである。

身を粉にして高度経済成長期を日雇い労働者として支え、同時に息子を一流投手に育てあげ、後に彼の乗り越えるべき最大の壁として立ちはだかる一徹は、昭和中期における理想の父親像でもあった。自分の果たせなかった夢を息子に強要するのは、作中で飛雄馬も繰り返し反発している通り父親のエゴである。しかし、戦争や戦後の復興期を生き抜き、支えることだけで精一杯だった戦中戦後の世代にとって、親が子に夢を託すのというのは、時代的な傾向でもあった。

作中、飛雄馬が巨人入りしてからは、一徹も性格が丸くなり「親ばか」「マイホームパパ」と称される場面もあるほど飛雄馬への優しさを見せるようになる。 しかし、飛雄馬と明子が自立し、親を不要としたその時から、ある種の自覚を抱く。「息子が成長する過程で身近な先輩は父である。先輩は実力で後輩に負けるわけにはいかない」と語り、以後は飛雄馬の敵の一人として最後まで立ちふさがるようになる。

自分の子供が大人として脱皮するにあたり、言葉ではなく体当たりで自らが男の模範になろうとした一徹なりの父親像と深い愛情は、共に戦う弟子であり、飛雄馬の親友である伴のみが理解するに留まる。他者から「鬼」とさえ称されるほど、表面的には厳しい仕打ちを飛雄馬に与えた。

現実の社会では、1970年代を過ぎて日本が豊かさを取り戻す頃には、家族のあり方に変化が起きはじめた。ホームドラマの影響やコミュニケーションの変化で親子の距離が縮まったほか、経済成長による女性の社会進出で核家族化が進むようになると、「父親は外に出て働き絶対的な権力を持つ」という戦中戦後派の考えが古いものとされるようになり、一徹の「強い父親像」は時代と大きなズレが生じてしまう。

漫画の世界でも、巨人の星のほかに「あしたのジョー」や「愛と誠」など時代を席巻した梶原一騎を筆頭とした大仰な表現を用いた劇画が減り、ギャグ漫画やスマートな作風のものが増えた。この頃から「ちゃぶ台返し」「火の玉ノック」などが、行き過ぎたスパルタ教育の弊害としてパロディ化されて描かれるようになった。また、1980年代に入り、子供の人権が強調され、体罰が問題視されるようになると、一徹の子供に親の夢を強要させるエゴイズムやスパルタ教育が度々、様々なメディアで育児の悪しき例として持ち上げられるようになる。

一徹の父親像は、時代と親子関係の変化に伴い、その都度メディアに取り上げられるほどの影響力があったのは事実である。しかし、そのパーソナリティの本質である「深い愛情」には一切触れられず、ちゃぶ台返しとスパルタをキーワードに様々な世代に歪められて記憶される結果となってしまった。 その一方で「父性の喪失」に対しては、一徹の存在がある種の郷愁をまとって振り返られるようにもなる。

現在においても『一徹』という名前は「スポーツ選手の父親」の代名詞的存在である。しかし、そこには「息子(娘)をエリート選手に育てようとするあまり、度がすぎて(飛雄馬の様な)歪な人格の持ち主に育ててしまう人物」という揶揄が含まれることが多い。プロ、アマを問わず、一部有名スポーツ選手の親にもそういう性向が見られる。だが、「獅子は千仞の谷にわが子を落とし、這い上がったものを後継とする」という本来の一徹像とは異なるものである。

星一家(星飛雄馬星一徹星明子星春江)は、根性この言葉を常に頭に置いてあるが、一家は、涙もろい面もあり星一徹でも涙をこぼすこともある。

( Wikipepia:『星一徹』より引用 )

ご存知、‘巨人の星’に登場する頑固親父の代名詞

実はかなり奥深い人物であります

ちゃぶ台ひっくり返しが有名といっても、アニメで2回、原作漫画で1回だけ

考えてみたら当然の話

酒浸りの荒れた日々でも、日雇い人夫として働き、家族を養う義務は忘れない

汗水たらしてようやく手に入れた日銭をそうそう無駄使い出来ますかいな

ショボイ焼き魚一切れ・漬物・白飯・味噌汁程度だってご馳走なのですよ

食べ物を粗末や選り好みなど、子供たちへの教育にいくない!

「私は母親失格でしょうか?」

いいえ、アナタの夫が父親及び世帯主失格です

アナタは出かけて支障きたさない条件の下に

息抜きと、社会とのつながり切れないようにの、必要不可欠のお出かけですから

女の敵は女、もっともらしい説教系は決してベストアンサーに選んではダメ

専業主婦や育児を盾に反対するのは、男女ともおバカの証明

妻や母親をタダ働きの家政婦としか見なしていない

彼女が倒れるなど不測の事態では、誰が困るのやら?

家族でしょ、それすらわからないとくればねぇ

何が言いたいか?

雄馬と明子姉さんが自立、一徹は長屋で一人暮らしを続ける

狭っ苦しいボロ家といえど、家事能力無けりゃ出来ません

大学出て一流企業勤めで一丁前の顔していようが

嫁や同棲中の彼女に甘えるくせに態度はデカイのとは、人間と雑魚の差

何より興味深い点は

姉弟が自立し、親を不要としたその時から

自分の子供が大人として脱皮するにあたり

言葉ではなく体当たりで自らが男(人間)の模範になろうとした

だからですかね

花形満と結婚してカネ持ち夫人におさまった明子姉さんが

「お父さん、ウチへいらっしゃいよ」と誘いに来ても

十二単みたいなド派手な服装したバカ娘なんぞ…と断り続けたのは

個人的には

明子姉さんが自立も花形と結婚もしなければ善かったのにと思います

父の一徹と弟の飛雄馬に振り回される貧乏生活から脱却出来ない

一徹のように実は出来る親父でさえ、子供の人生を破滅させた展開を

子供が親の面倒を見るのは当たり前と押しつける世俗に知らせるべく

「皆が通る道ですから」、親の介護を誰もがやる出来るという考え方には

誰もが自立して子供持つもの、独身でいるのがオカシイ

そのくせ、独身の子供を腐った常識で酷使しても平気

酷使された子供の老後の面倒は誰も見てくれないという冷酷非情ぶり

という凡人の思い上がりが見え隠れしますからね

まぁ結婚しちゃったものは仕方あるめえ

明子の方が7歳年上の姉さん女房だというのに

結婚後、花形は明子に対してはタメ口?

(明子は花形に対して「貴方」と呼び、もっぱら敬語)

ナマイキな口をふさいでやるだけの鬼嫁になっていてくれ~