mathichen 雑記帳【Hatena版】

ウェブリ休憩所の保存庫

天使も許さぬ絆であるが故に

台風どーたら、外行く用事もないし、暇だ

ウェブリ休憩所に籠って遊んでやろうっと

7月27日、アメブロ別荘にて

【Who knows ? God knows. ~運命と自己疎外の戯れ~】

現代米国作曲家トバイアス・ピッカーのオペラ第1作‘Emmeline’

19世紀後半、米国のある小さな町

13歳の時勤め先の工場主によって落花狼藉したエメラインが

長年の苦労後にようやく幸福をつかんだ

当時の女性としては高齢といえる30歳を過ぎて

若いマシューと知り合い、人並みの結婚が出来たのである

が、幸福も一瞬の夢幻

マシューこそ、不幸な少女エメラインから取り上げられた息子だった…

ギリシャ悲劇のオイディプス王物語に登場する

主人公の母にして妻イオカステ視点の物語

実話に基づいて書かれ、まさに事実は小説より奇なり

19世紀米国にはもう一つ

ゲーテの‘ヴィルヘルム・マイスターの修業時代’的実話が存在します

数人の子供に恵まれ幸福な生活を送っていた夫婦が

幼時インディアンにさらわれ生き別れになっていた兄妹

いずれの話も不幸な結末を迎えたのは説明するまでもありますまい

【禁断の果実を手にすれば、生きる厳しさ、そして死の宿命】

「将来、息子の彼女の両親に会ったら

嫁が相手の父親見て動揺する。そんな事態起きるかも」に対して

「アンタ、TVの見過ぎだよ

そんなドラマみたいな話、現実にはねえよ」

と鼻で笑う横レス書かれたりするけど

広いようで狭い部分が多々見られる人の世

どんなに低い確率でも可能性は捨て切れないぜ

実際、先日別件での検索中

それと知らずに出逢っちゃったが想像以上に多いを知ったわ

夫婦が離婚後一切の接触持たないまま

離婚当時幼かった子供が兄弟姉妹の存在知らず生き別れしていたら?

親の離婚により子供の姓が変わっていたりすれば

兄弟姉妹と赤の他人として出逢う可能性あるでしょ?

母親の再婚後に生まれた息子が

母親が手放した前夫との、結婚して姓変わった姉の娘

同年齢の姪ともね?

先日別件での検索というのは

近親婚に関する世界の考えを調べていたのさ

親子婚はさすがに、合法には認められていないものの

mathichenさんの愛するドイツでは、叔姪婚が合法だってよ

スウェーデンに至っては、異母もしくは異父の場合に限って

の兄弟姉妹婚が認められてるわ

二親等と三親等、これらを認める背景には恐らく

血の濃さを踏まえた、子供儲けるより男女の愛が焦点

の結婚を認識しているという前提あるのでは?

アメリカでは、いとことの結婚は25の州で禁止されている。また、別の6州では特殊事情の下でのみいとことの結婚が許可されており、例えばユタ州は双方の配偶者が年齢65歳以上もしくは年齢55歳以上で性的不能に関する証拠を持つ場合に限定して可能となっている。残る19の州及びコロンビア特別区では2008年現在、いとこ婚は制限無しで許可されている。

Wikipedia:『いとこ婚』より引用 )

四親等以降、従兄弟や従姉妹だと

近親者の意識や忌避感が薄いの前提で、年齢制限設けている気がする

何故、近親婚に関する検索やってた?

画像

さよう、兄と妹が知らずに出逢っちゃう悲劇

それが‘悪魔が来りて笛を吹く

いや、そんな単純な話じゃないか

三島東太郎、本名:河村治雄と、堀井小夜子

戸籍上は叔父と姪だが

血縁関係持たず、年齢は同じ、父親知らない境遇も似ているので

一説によれば

血縁と知らない同士でも、他人同士以上に魅かれ合う傾向あるらしく

似た者同士で相思相愛になったら、何たる酷い運命よ…

一線越えた後になって

実の兄妹から生まれた兄が、同じ父親を持つ妹と知れるなんて

映画版では、設定を変え

原作では自ら命絶った妹が生きていて

彼女が、実の兄妹から生まれた子に

いずれにしたって、絶望するしかない悲劇に変わりない

先代の兄妹、新宮利彦と椿秋子とは大違いなんだよ

( * 秋子は本来、火偏に禾だが

一部の日本語環境で表示出来ないため、代用漢字)

こちらは、華族の家族として育った兄妹で、確信犯だもん

しかも利彦は、兄妹の閨房を垣間見た小間使いの口封じすべく

その夜に手籠めにして孕ませたカス男

もう一つオマケに、利彦は秋子に譲られた財産狙いあって

性懲りもなくの恐れがいまだに残る

これじゃぁ、兄妹の伯父に当たる玉虫伯爵が

姪の身を案じ、無理やり同居するのもわかるわ

秋子は何しろ、浮世離れしたお姫様に加え

見た目に合わぬオトコ好き

カラダ知る、もとい、勝手知る、狡猾なお兄様

に言い寄られてみい、ひとたまりもない

事実、利彦は

周囲のガード堅い秋子と二人きりになれる状況を画策し成功したじゃん

その時には、東太郎(映画では、女中のお種=小夜子も加わる)が

椿邸にいて目撃したんだぜ

両親への復讐狙っているとはいえ

いざ「オマエら、性懲りもなく…」を目撃してみろ

自分の生まれを知り、自分は兄の子供産めなかった

小夜子の心情を考えてみろ

利彦と秋子はどちらも

煮るなり焼くなり炙るなり、ギッタギタに料理されるのが因果応報なのよ

抜粋だけで長い。原文読みたけりゃ、記事題名文字リンクから行って

YouTube以外の文字リンクも貼ってあるから(全部やるの面倒)

あくまでド素人考えながらを前置きして

三親等以内の、血の濃い組み合わせから子供生まれると?

遺伝的リスク大きいにしても、100%劣性遺伝と限らんでしょ

相手の意思を無視した暴力的な性関係などは別にして

近親婚の繰り返しが血の濃さを深める、そちらが深刻に見える

ハプスブルク家における近親婚

スペイン・ハプスブルク家およびオーストリアハプスブルク家では、一族内での近親婚が繰り返された。また、フェリペ2世以降は3親等間での結婚(叔姪婚)が増える。それには以下の要因があった。

・厳格なカトリック政策で、プロテスタントの王侯との結婚ができない。

・ヨーロッパ屈指の名門であり、家格の低い諸侯との結婚ができない。

結果、縁組できるのはフランス王家、ポルトガル王家、ボヘミアハンガリー王家、ポーランドリトアニア王家、オーストリアの同族のいずれかに絞られることになった。しかし、フランスとは三十年戦争(1618年 - 1648年)以来敵対関係になり、ポルトガル王家はフェリペ2世以後スペイン王家と同一に、ボヘミアハンガリー王家はフェルディナント1世以後オーストリアの皇帝家と同一になり、ポーランドリトアニアではヴァーサ家の断絶後は王位の世襲が絶えて特定の「王家」が存在しなくなった。そのため、オーストリアハプスブルク家との間での結婚、つまりフェリペ1世の息子カルロスとフェルディナントの子孫の間で近親婚が繰り返された(しかもカルロス1世の代ですでにいとこ婚を行っている)。その結果フェリペ4世の子のカルロス2世は遺伝子系の疾患を持って生まれて早世、後継ぎもなく断絶したと言われる。

スペイン・ハプスブルク家の近親婚の程度を示す近交係数をコンピュータで計算してみたところ、初代フェリペ1世のときには0.025だった数値が、末代のカルロス2世では0.25にまで上昇していた。その間に行われた11組の結婚のうち、9組が叔姪婚であった。また、0.2以上の近交係数の王族も複数いたことが判明している。スペイン・ハプスブルク家内の乳児死亡率は、当時の農村部の乳児死亡率より高かった。

Wikipedia:『スペイン・ハプスブルク朝』より引用 )

結婚生活とフェリペ2世の家族

フェリペ2世王太子時代の1543年、ポルトガル王女マリア・マヌエラ(1527年10月15日 - 1545年7月12日)と結婚した。2人は同い年であった。マリア・マヌエラの父はイザベルの兄ジョアン3世、母はカール5世の妹カタリナであり、父方でも母方でもフェリペの従姉妹に当たる。1545年に長男ドン・カルロスをもうけるが、同年に彼女は死去した。

1554年、イングランド王国の女王メアリー1世(1516年2月18日 - 1558年11月17日)と結婚した。メアリー1世は父カール5世と母イザベルの共通の従妹に当たる。スペイン王家からすればフランスのブルボン家との対抗上、メアリー1世からすれば国内での親カトリック政策の後ろ盾として、互いを求めた政略結婚であったが、11歳年上のメアリー1世とは性格が合わず、1556年にフェリペは即位のためスペインに帰国、1年半後に3ヶ月ほどロンドンを再訪したのみで別居状態となった。既に高齢出産の年齢に達していたメアリー1世は婦人科系の病に冒されていた模様で、子をもうけないまま1558年に死去した。

1559年、フランス王アンリ2世の長女エリザベート・ド・ヴァロワ(1545年4月2日 - 1568年10月3日)と結婚した。エリザベートの母はカトリーヌ・ド・メディシスであった。この結婚はスペイン・フランス両国で結ばれたカトー・カンブレジ条約によるものであり、エリザベートはもともとフェリペ2世の一人息子ドン・カルロスの婚約者であった。エリザベートは、イサベル・クララ・エウヘニアとカタリーナ・ミカエラの2女をもうけたが、彼女も1568年に死去した。なお、その数ヶ月前にドン・カルロスも死去している。

オラニエ公ウィレム1世などから、フェリペ2世が妻エリザベートと息子ドン・カルロスを毒殺したとして非難されているが、その真偽は不明である。

1568年、オーストリアハプスブルク家のアナ・デ・アウストリア(1549年11月1日 - 1580年10月26日)と結婚した。アンナの父、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世はフェリペ2世と同年生まれの従弟であり、母マリアはフェリペ2世の妹であるという関係から、2人は伯父と姪の結婚となるため、ローマ教皇ピウス5世が当初反対した経緯がある。彼女とは4人の息子と1女(マリア)をもうけたが、フェリペ以外のいずれの子供も夭折した。

残された子供はイサベル、カタリーナ、フェリペ(後のフェリペ3世)だけであり、家庭的には恵まれない人物であった。

・マリア・マヌエラとの子供

  ドン・カルロス(1545年 - 1568年)

エリザベート・ド・ヴァロワとの子供

  イサベル・クララ・エウヘニア(1566年 - 1633年) - オーストリア大公アルブレヒト

  カタリーナ・ミカエラ(1567年 - 1597年) - サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世妃

・アナ・デ・アウストリアとの子供

  フェルナンド(1571年 - 1578年)

  カルロス・ロレンソ(1573年 - 1575年)

  ディエゴ・フェリックス(1575年 - 1582年)

  フェリペ3世(1578年 - 1621年) - スペイン・ナポリシチリアポルトガル

  マリア(1580年 - 1583年)

Wikipedia:『フェリペ2世 (スペイン王)』より引用 )

フェリペ2世が、スペイン・ハプスブルク家の明暗分けたと思う

正確に書けば、「エリザベートに男子生まれなかったのが分岐点」

恐ろしか血まみれメアリー姉さん女房を勘定に入れなければ

エリザベートだけが、夫と血縁関係持たない王妃だ

(メアリー姉さんも、血縁あるにはあった

彼女の母キャサリン・オブ・アラゴン=彼の大叔母

けどさ、メアリーを王妃の勘定に入れなくていいでしょ

彼女は彼にベタ惚れ、一方、彼は怖がってた

彼女の凶暴さに恐れをなし、彼が英国逃げ出した気持ちわかるぞ

子供生まれず、いろんな意味で助かったね~)

男子のみ王位継承の下では、痛恨の極みね

フェリペにもう一度、近親婚でない機会あったの、皆様ご存知?

エリザベートの早世後、パリから打診あったの

元お姑さんであるカトリーヌ・ド・メディシス

「当家には他にも娘がございますのよ。元息子や、如何でしょ?」

フェリペとエリザベートとの夫婦仲は良かったながらも

中年夫は、幼妻の弱点、蒲柳の質に苦労していたので

「ヴァロワ家の娘、皆体質変わらんやろ。もおエエわ」と断り

オーストリアの宗家から姪に当たるアナを迎えた

惜しいことしたが気がする

カトリーヌの推すヴァロワ家の娘、エリザベートの妹って

当時15歳の若さにあった、マルグリット・ド・ヴァロワだもん

激化するカトリックユグノーの宗教対立を解消するため

ユグノーの指導者であるナバラ女王ジャンヌ・ダルブレの息子アンリ

彼との政略結婚させられるも、子供はなく

彼女の死で、ヴァロワ家の血統は庶流を除いて完全に絶えたが

さて、不妊であったのか、単に子宝運がなかったのか?

マルグリットといえば、‘王妃マルゴ’(1994年)

主演のイザベル・アジャーニよか野郎どもの方が綺麗だぜじゃなくて

派手な男性遍歴で有名であり

兄弟たちと近親相姦の関係にあったという噂もある

そんだけ精力的ならさ

男(女)替えれば案外アッサリ妊娠、よく見られるし

スペイン・ハプスブルク家の繁栄に貢献したんでないかい

ネーデルラント総督ドン・フアン・デ・アウストリアを魅了し

ドン・フアンは「アレは、男を救うというよりは、破滅させる類の美しさだ」

…スペイン中の男前漁りして、男前と国を破滅させたかしらん

宮廷の華として誰もが憧れる絶世の美女への邪推はさておき

王侯貴族が政治権力や外交、財産を守るため、身内で結婚繰り返す

洋の東西問わず見られ、一般市民でも富裕層にはそう珍しくないよね

アタクシの機嫌良い時、ウチの世帯主ジジィの話し相手やったら

祖父さんと祖母さんが従兄妹婚とわかったわ

祖母さんが商家の跡取り娘で、丁稚だった祖父さんが入り婿したの

さらに聞けば、大叔母さんもまた、従兄妹婚していた

他にも、血の濃いカップルいる様子

祖父さんと祖母さんに関して、ジジィは「本人らは嫌やったろ」

祖母さんの性格上、実子による跡取りの考えは、ひい祖母さんになく

おカネ契約による養子(ジジィ)迎えた所を見ると

計画的な財産分散阻止結婚であったよう

迎えた養子が現在、どう見ても発達障害には溜め息ついて置き

さらに血を濃くしなかったのは正解だったかもね

そう考えると、日本のように家同士の結婚が重要視される社会では

(本人らが好き合おうとも、両家入り乱れる反対劇多いを見ろ)

好条件揃い、本人らが納得すれば

好いたハレタに目が眩み、何かと後悔多い恋愛結婚よりも

政略や見合いの契約結婚が有効なのかも

契約結婚であったって、人柄次第でラブラブなれる可能性持つしね

悪魔が来りて笛を吹く、’椿邸を襲った怨念の背景を考えましょ

個人的には、非常に低い確率でも起き得る悲劇であるを思うと

親が自分の過去を抹殺し、子供が辿れない状況が生まれると

親の因果が子に巡り…、場末の芝居小屋の出し物が現実味帯びる

安易な離婚による崩壊家庭多い現代こそ、怖くねえか

離婚しても親子一族往来する良好な関係が理想だが

(そのため、自分が一番の後妻や後夫はもらうな

前の結婚による子供と縁切りさせるようなのは言語道断)

絶縁するならするで、横溝ミステリーの定番アイテム、家系図残しとけ

母親にすらどのオトコの骨か不明な子孕むな孕ませるな

皆様ほれメモメモ

なお、今日はマジ暇なので

血縁が鍵となる横溝ミステリー絡む記事をもう1本に続く