【いのちの紐】
1995年に、永久電池の携帯電話が存在していれば
首都のドグサレ報道陣の飛ばすヘリコプター轟音に
SOSの叫びが掻き消されず?
想像力持たず、テメエの人生が破滅しなけりゃ
対岸の火事であり、哀悼も偽善でしかないってのか
自ら満身創痍ながらも被災地情報を提供し続けた
神戸サンテレビは、真に男前なり
無辜の魂に、全能なる神の慈悲と来世の幸福あれ
( http://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/32391221.html )
昨日の
Yahoo!本館、午前5時46分に投稿したため
ウェブリ休憩所記事は、1日遅れになった
「本震が来る直前、店員とお客のつり銭を渡す手が止まり
『なにか変だな・・』という嫌な予感、空気感が怖い。」
「あの地鳴りや揺れは半端なかった(_)
突き上げるような縦揺れの後に横揺れ・・(-_-;)
思い出すだけで辛い(TT)」
動画へのコメント通りよ
堺市は震度4(どう考えても、震度5はあったと思うけど)で
激震地よりはずっとマシではあったものの
部屋の中の物の散乱ぶりから、発生の瞬間の破壊力は想像ついた
短い周期で一箇所にエネルギーが行く破壊力たるや…
地震自体は天災であり、これは人間の力では防ぎようがない
ただ犠牲者の多さは、人災の側面が認められる
1995年の記憶として
現地入りした首都メディアの無神経ぶりを二つ
・崩壊した街並みを見て、「怪獣映画の場面みたいだ」
・煙立ち込めるを見て、「温泉街みたいですね」
(これは、
筑紫哲也の言葉)
人間やはり、自分自身で痛い目見ないと学習出来ない生き物
だから1・17以降の災害においても、似た光景が再現されてしまう
情報受け取り側も、過熱報道に振り回されない冷静さを持つべき
マスメディアにダメ出しする必要を、一般市民の皆様ほれメモメモ