罪と罰の『と』、『には』と置き換えよ
…何という豪華メニューよ。マジな話か?
病気持ちが服役したら、食事改善で健康になった。そういう話は実話なのね~?
四半世紀前、雑学本に
ただでさえ刑務所への予算が限られている中で
豚さん×もいれば、牛さん×もいる、オラの国では○○食べたら怒られるなど
宗教の戒律や生活習慣を守る外国人受刑者への配慮が
刑務所厨房を悩ませていると書かれていました
日本人受刑者でも、米食は身体が受けつけずパン食を訴えていた話があって
(刑務所が訴えを却下したため、受刑者は体調壊して入院する事態に陥った)
「ここは、日本じゃ!」と和食強制や犯罪者だから文句言うなは通用しないのです
かといって、受刑者はお客様ではない、そうそうおもてなしばっかりは許されない
「今の日本の刑務所は苦しむところよりも規則正しい生活を強いられるところだな。
刑務所に入る人に罰をあたえ、行った悪事を償わせるために入れるのか、
それとも構成させるために入れるのか。( * 構成→更生 )
それのバランスが日本は後者に偏っているのだと思う。
個人的には、更正させる刑務所と償わせる刑務所二つの種類の刑務所を作って、
犯罪によってどちらかに入れるようにさせるのはいいのでは?と思う。
後者に行くことになっても後に必ず前者の刑務所に行かせるのもいいのでは?」
「刑務所以下の社会ってほうが問題だな
刑務所は社会福祉施設になってるな
刑務所の1人あたりの維持費は年300万かかるっていうし
生活保護は月に1人暮らしなら10万程度
国民年金なんて40年満額払っても月に6万くらい?
6万程度じゃ家賃払って終わりでしょ
この日本って国の異常さは本当に凄いな」
自分でダラダラ書くより、動画コメントより拝借
動画コメントといえば
「毎日同じものを作ればコスト下がる。
俺なら法を犯した者にはそれなりの対応をする。」
これを見て思い出したのが
『冬の旅』(ふゆのたび)は1968年5月から1969年4月まで讀賣新聞夕刊で連載された立原正秋の小説。新潮社が文庫化し、ロングセラーとなっている。1970年4月16日から同年7月9日までTBSの木下恵介・人間の歌シリーズで、1976年2月23日から同年4月16日までフジテレビのライオン奥様劇場でドラマ化。
( Wikipedia:『冬の旅(小説)』より引用 )
少年院の食堂で、1人の少年が職員に聞こえよがしの大声で
週の半分くらいは鯨肉登場にブツブツの場面あったよな
半世紀近く前の鯨さんは、学校給食にもおなじみの食材
公立学校予算を考えたら無理ない話ではあった
「すき焼き食いてえ~」みたいな声には、「テメエの立場を知れぃ」の怒鳴り声
あれは、本に向かって「その通り☆」と内心で拍手パチパチ
脱走してお屋敷町ママに随喜の涙で迎えられ、夜中に寿司食べまくり坊やこそ
いまにして思えば、高い寿司屋アレルギーの原因だと思う
立原正秋さん著の『冬の旅』、読みましたよ少年院という隔離された環境で、色々な...zorutan178さん
立原正秋さん著の『冬の旅』、読みましたよ
少年院という隔離された環境で、色々な事を
考えてる所に心を打たれました。
深い作品です。
ちょっと気になった所がありましたので質問しますね。
主人公の行助君は、行助君のお母さんに良くない事をした
義兄の修一郎と揉み合いになり
修一郎が持ち出した刃物が修一郎に刺さり
行助君は、少年院に入る事になりますよね。
行助君が真実を話すと少年院に入る事には
ならないのに、修一郎を劣等感の中でしか生きていけない
ようにするために、少年院に入ったというような事が書かれてたのですが
これは、どう意味なのかな。
少年院に入るはずの修一郎が入らないで、改心しないで
今の生活を続ける事を指してるのかな。
どうかな。
教えてもらえませんか。
質問日時:2011/1/24 09:31:55
解決日時:2011/1/31 09:13:47
ベストアンサーに選ばれた回答
bananafisheveさん
修一郎の立場で考えたとき、真に恥ずべき行為をしたのは自らであると自覚しており、しかもそのふらちな行為の結果、行助が侮蔑の思いを込めた沈黙を守ったまま少年院に入ったことになるので、悔しさと劣等感とにずっとさいなまされ続けるであろうと思った。修一郎にしてみたら周囲から「お前はなんてことをしたのだ」と叱られたなら、まだ、「俺だけが悪いわけじゃない」等の言い訳もできたかもしれないのに、「君は被害者だったんだよ」と言われ、しかも実は自分こそが悪だと自覚していたので、その鬱憤は自らの劣等感にも直結する。
この時点では、行助はまだ後の達観的な意識を得るには至っていなかった。行助も又、冬の旅の途中であった。
回答日時:2011/1/24 13:40:20
( http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1354318728より引用 )
1970年版ドラマは観てませんが
あおい輝彦がIQ160の秀才には見えん、田村正和はドラ息子にお似合いだ
修一郎の視点で見ると
父親の再婚時点で、未来の不運が始まっていたと思います
彼は当初、「いい兄弟が出来た」と行助を歓迎していた
しかし、兄弟の優劣をハッキリ見るにつけ、劣等感が募る
父親は明らかに、義理の息子である行助に肩入れ
祖父母は逆に、実の孫である修一郎を猫可愛がり
修一郎は、繊細で、自己の限界を知るだけに
継母を襲おうとしたのは
義理の長男に遠慮がちな彼女を家庭内で唯一の感情のはけ口と見ての凶行?
父親を殺そうとしたのは
長年軽んじられたことで積もり積もった負の感情が爆発しての凶行?
行助は二度目の収監後、自ら亡父の姓に戻った
修一郎の立場に好転は訪れたのか?
会社経営者である父親は、修一郎を入社させるものの平社員からと厳しく
祖父母は相変わらず、「跡取りだから」と異常なまでの飽食で甘やかし
会社後継者(の懐具合)にたかろうという魂胆の同僚が近寄ってきて
これといって以前と変化は見られなかった
父親が選んだ指導係の判断通り、庇護者であるジジババくたばるのが先決
ありがた迷惑な老害が去り、利用価値無しに近い孤立無援な状況を迎え
父親のみならず、自分と関わるあらゆる人たちに頭を下げ
ひたすら謙虚に、コツコツ叩き上げるしか、方法は無い
修一郎の前途にはやはり、冬の凍てついた道だけが広がっていたよう