何度でも人生やり直せる以前に、何度も悪夢が甦る
さっき関東方面で地震あったようですね震度4?想像つきます
阪神・淡路大震災の時、ウチの周辺がそうでしたから
いちいち見てないですが想像つきます
ビックラこいたのは当然。震度4は大きい
でも余裕ありますよね
ブログ更新してるのですから
1995年はいまほど携帯やネットが普及していなかった
あの日、固定電話に一斉集中
07始まりの地域が繋がりにくくなる状態に
神戸周辺に家族や友人がいる離れた場所の人たちは
すぐに連絡取れるとは限らない
大阪から神戸まで、数時間かけて歩いた人がいました
最初の地震から時間が経っていても
グチャグチャの町並みには火の気やガス臭がチラホラ
危険極まりない
でも、その人は歩き続けました
親しい人の身を案じるあまり引き返せなかったのです
どんなに遠距離でもいつでも人と繋がっていると勘違い
ちょっと不便なだけでパ二くる
そんな現代人に真似出来ますかね?
( 2009年12月18日FC2別館
【どれだけ『人』との『間』が繋がっているか次第】 )
1995年1月17日も、今日みたいに極寒かったっけ?
晴れて天気良かったのは覚えております
1988年から1992年にかけてバイロイトで上演された♪ジークフリート
旧東ドイツ演出家ハリー・クプファーのプロダクション
別名『チェルノブイリ・リング』。現代文明破滅した後の設定
これのLDを最初に観た3時間半後、阪神淡路大震災…
以来、17日には♪ジークフリート聴いておりません
聴いたら、自分がお呼びかかりそうでさ
同じ理由で、もう一つ観ない映像とは?
1983年春にダスティン・ホフマンが出演した‘笑っていいとも!’
何か寝付き悪く、布団の中でグダグダしていたら
ガタガタガタ…「あら、地震や。東京と違うて、この辺では珍しや~」
の次の瞬間、天地引っくり返るんかい~の家鳴り震動
観念してむしろ冷静になり、布団の上に坐ってボーッとしてました
幸い、押し入れの戸コケたが家具でなく小物類が散乱程度
しかし悪寒働いたので、NHKにチャンネル合わせると
5時46分頃の神戸放送局内パニックもどきが映し出されていて
しばらく時間置いてから、神戸サンテレビに合わせると
放送局周辺?の静止映像が映し出されていて
「こりゃ、想像以上の大惨事やな…」
夕刊に載った阪神高速がグンニャリ曲がりくねり
TVで観た生田神社がへしゃげて屋根だけみたいな惨状
絶句しました
もう18年経つとは感じないのって、つい昨日のようなことに感じるって
人生観変わるくらいの出来事というのは
記憶が薄らぐことはあっても、生涯拭い去りまでは出来ないもの?