mathichen 雑記帳【Hatena版】

ウェブリ休憩所の保存庫

美しい昔を語り継ぐ

眠くてたまんねえや けど、忘れかけてたウェブリ休憩所更新やっとこ 今日の未明、ヤホー本館に、【傷だらけのアイドル】 http://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/32275344.html 亀の甲より年の功。そんでも、未だ人生約半世紀 だもんで、「エライ昔話、何で知ってるねん」とよく言われる 知ってるもんは知ってる、何でや言われたかて、アタクシ自身知らんわ 知ってることは書いといたろ 子供おらんアタクシの代わりに、誰か後世へと語り継いどくれ ネタを無から有にヒネリ出す、天才以上の天才であるだけに 子供十人おっても貧乏共稼ぎしようが粗食日記よりは役立つはずだ
レイ・ラブロック(Ray Lovelock, 1950年6月19日 - )は、イタリア・ローマ出身の俳優。以前はレイモンド・ラブロック(Raymond Lovelock)の名義で活動していた。 来歴 イタリア人の母とイギリス人の父の間に生まれ、ローマのトラステヴェレ地区で幼少期を過ごす。デビューは15歳でジョン・シュレシンジャー監督の『ダーリング』に端役として出演、16歳の時にローマの「パイパー・クラブ」で歌っているところを見出され、1967年、ジュリオ・クエスティ監督『情無用のジャンゴ』で本格的に俳優としての活動開始。1969年、『ガラスの部屋』で初主演し、特に日本ではフランスのルノー・ヴェルレーと並び1971年頃まで若い女性からアイドル的な人気を博した。訪日経験もあり、日本で森永製菓のCMに出演、浜圭介作詞作曲の『恋は風』というシングルをリリースしたことがある。 イタリアでも1970年代当時歌手活動も並行して行っており、主演映画『バニシング』の主題歌を歌った。 2000年以降は主にテレビで活躍している。 ( Wikipedia:『レイ・ラブロック』より引用 )
3年前の秋、FC2別館記事に取り上げたんだけどね ‘ガラスの部屋’(1969年)、『愛の聖三角形』だっけか? デーヴィッド・ベッカムの18禁ネタ疑惑ニュース 具体的に書くと、3P疑惑を見ているうち、思いついたの ともかく、顔といい、ギャル(太古のギャル含む)人気といい ベッカムさんと似てるってば 熱しやすく冷めやすい、それが、自称大和撫子とやら イケメン素敵☆打ち上げ花火的人気。没落も早かったよう 撫子ならぬドクダミみたいな尻軽オンナどもの犠牲者の一人なの 女心と秋の空は変わりやすい 小春日和の後には、冬枯れの恐怖あり 1976年頃のインタヴュー読んでも、 イジケぶりが知れた いわゆる浮遊層って、流行りに乗っかり騒いでいるだけなのに 自分らが最先端なエリートと勘違いし 飽きたら、「次行こ、次」とポイ捨てする無責任さが見られるとあって 流行の対象に真剣に取り組む人たちの努力に水差すかもの他 流行の対象自身を傷つけるかもしれない わかんないんだね、40年前も、頭の中がお春真っ盛り桜娘どもも
サッカー業界で話題。“セレ女”って何? フットボールチャンネル 2013年11月27日 12時00分 桜満開ならぬ、紅葉満開の季節にセレッソは満杯――。 23日に開催されたJ1第32節セレッソ大阪サンフレッチェ広島は上位対決ということもあってキンチョウスタジアムの過去最高となる17,489人を動員した。秋口にセレッソが躍進するのはACL出場を決めた一昨季ぶりだ。 それにしても、セレッソホームのチケットの売れ行きが半端ない。 チケットは前売り券、当日券ともに完売。 完売のチケット購入の相当数を占めたと思われるのが、東アジアカップ以来、ものすごい勢いで増えめている「セレ女」ことセレッソを応援するギャルたちだ。 筆者が今季初めてキンチョウスタジアムへ取材へいくと、知り合いのメディア関係者に「お、セレ女がお目当てですか?(笑)」といわれてしまう始末。 この日は、日本代表のオランダ戦やベルギー戦を終えて帰国したセレッソ大阪所属の柿谷曜一朗山口螢も出場するとあって、セレ女たちのテンションもマックスボンバーで気合十分! 完売にも関わらず、当日券を求めて朝から会場周辺をうろつく女性たちの姿が…(もしかしてダフ屋を探していたのだろうか)。セ、セレ女、つよしっ! 試合はセレッソ大阪が上位サンフレッチェ広島を1-0で下し、ACL出場権を射程圏内にする4位へと浮上した。それを知ってか知らぬか、試合後のチームバスを取り囲む多数のセレ女たちは、ワー、キャー、の大騒ぎ状態。 セレ女たちが、セレッソ大阪をさらに上位へ押し上げる!? ( 出典先:livedoorスポーツ )
ラブロックに関する大賢者Wikipedia様の中に 『フランスのルノー・ヴェルレー』 …こっちも、打ち上げ花火的人気で没落も早かった組だ ‘個人教授’、アラン・ドロン嫁当時のナタリー・ドロンと共演 この後、マリナ・ヴラディとか、浅岡ルリ子とか 年上美女との恋愛ドラマ多かったの、出世作の影響かしらん 1945年生まれと20歳を過ぎ、小さな娘いるパパであったものの 童顔のため、高校生役が不自然じゃなかった ちなみに、お嬢ちゃん、名前クリステル?え~と忘れた パパがお仕事でニッポン行く時、スーツケースにおもちゃ入れるので 何故かと聞くと、「アタシも連れてってよう(さびしいじゃん)」 …ちょいと極東ドクダミ軍団、アンタらのせいだよ アンタらが大根足ミニスカからはみ出しながら黄色い声まくりの最中 幼稚園児がションボリお留守番なんて、カワイソ過ぎるじゃないかッ mathichenさんが娘なら、グレてやるぜ~ 1939年生まれのベルナール伯父様の方が好きにしてもだ ヴェルレー出演作として、‘地獄に堕ちた勇者ども’(1969年) ルキノ・ヴィスコンティ監督ね。ヘルムート・バーガーの弟役 ヴィスコンティといえば、翌1970年、‘ベニスに死す’を撮った ビョルン・アンドレセンが歌吹き込んでんたんかい ラブロックが森永製菓なら、アンドレセンは明治製菓 TV-CM出演は微かながら記憶にあるものの オトコ心を翻弄した美青年タッジオに、何やらすか ドクダミ軍団以上に恐るべし、ニッポン企業 それもこれも、ドクダミ軍団の財布当て込んでだろうが ず、頭痛がして来た… もっともアンドレセンの場合 芸能活動続けたとはいえ、‘ベニスに死す’が一世一代の名作 タッジオだけで消えたとしても、困りはしなかったであろう 美しい記憶残し、サッサと引退するのが、むしろ潔かったかもしれない お菓子CMと歌は観聴きしなかったという方向へ持って行こう 斬られても斬られても、何度も細く長く、種を蒔いて咲かし続けるも 時代の花、単なるアダ花、太く短くパッと咲いて消えるも どちらも花の命の在り方ながら 花を踏みにじり、ペンペン草も生えん荒れ地にするのだけは困るのよ 最後に ドクダミ軍団よ、どーせイケメン追っかけするなら 韓流ドラマやその系統命ババァども見習え 何だかんだ言われつつ、ニッポンに定着させ、10年経ったじゃん アタクシゃ、ウチの元料理番とそのババァ仲間のせいで 冬ソナ主題歌聴こえて来ただけでアレルギー起こすながらも ババァどもの執念深さだけは天晴れと認めてんのよ どんな恐ろしかブッサイクに化けようとも 例え、カンプノウ売店バルサ土産売る末路歩もうとも セスクは、セスクだってのぉ 世界に冠たるセスク愛は永遠に続くんじゃ~ フォント大きくしてまでセスク命を宣言しておく誰か並みにね