mathichen 雑記帳【Hatena版】

ウェブリ休憩所の保存庫

Let it be. 全知全能の存在を崇めよ

今日は12月16日だから、明日は12月17日だ(当たり前じゃ)

つまり、明日が、悪魔な元編集長の陰謀にハマり記念日かよ

ヤホー某所コメント欄まで追いかけ回して書かせたアレのさ

【マティヒェンさんのドルトムント】(2008年12月17日スポーツナビ+)

http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shousetsu/article/68

おい元編集長、生きとるいう前提で書いとく

【超時空系ブログ誕生月を迎えて】(2011年12月9日ヤホー本館)

アタシの独断で披露した、元編集長からのメール再録するぞ

自分が蒔いた火種なんだから、自業自得と観念し炎上しとけ

画像

スポナビ様の自分ち貸すから記事書け書けに同情したのが運の尽き

2008年12月9日、御坊クリスマス会への帰り

酷鉄ダイヤ乱れから電車動くの時間かかったので

頭の中で原稿書き、夜中にメール送信したら

あーだこーだと文句来て書き直し

画像

午前1時頃に書き始めた事

寝不足と酔いが回った状態でPCに向かってました

だもんで、♪17歳の件をメール送信後になって書き忘れに気づき

それだけでメール送信しようと第2稿の画面を出したら・・・

そちらのアドレスの数字の部分が抜けてるやんけ~~~

(* 理由は説明するまでもない、コピペ出来ないんで1文字ずつ入力のミス)

で、仕方なく、もう1回

画像

結果的には、自分でも「何が幸いするやら」ですぞ

時間が経ってなかったんで第2稿は頭から抜けてなかったものの

読み直すと饒舌な感じアリ

同内容をスリム化したんやわ

そしたら

「マテ姉さん、これいいですぜ!

当方ただいまヨッパラってますゆえ、

審理はまたのちほどということで…。

いやあ、グッときました! 

あとは体言どめをいくらか修正するだけでしょう。

オマケはマテ姉さんの希望どおりにいたしますです、ハイ。

これこれ、コレだよ! 編集長はおおよろこびですぞ!

練りなおす必要がほとんどなくなりました。

今日が…11日? 

年の瀬には早いけど、今週末か来週明けにいっちゃいましょう!

いくぶんふらついてる編集長ユフィ」

「こちらはノリスケの苦悩、てんでわかりません(笑)

なにせマティヒェン先生速筆なものですから。

原稿待ちの心配がない、ありがたいことです。」

そりゃヨカッタね

「原文そのままお出しすることにいたします。

実際いろいろアクセントをつけてみたのですが、

どうしてもわたしのクセがでるんですよね。

それぐらいならばいっそのこと、

ありのままを披露したほうがよろしいのではないかと。」

コチラも有難や節

オマケとして、Yahoo!Daysより

【超時空系ブログ誕生月を迎えて(その壱) 】(2010年12月12日 04:17)

【超時空系ブログ誕生月を迎えて(その弐) 】(同上)

この元編集長、一体アタシの何が気に入り、執筆依頼したのやら

時効としてバラしてやると、アタシの息子になれる年なんだぜ

アルコールに弱いのは置いといて、やたら古い話知ってるし

何からナニまで、意味不明な御仁ではある

結果的に、アタシの物書きハートに火をつけちまい

クリスマスイヴイヴにヤホー開設し

その後2年半の間に、FC2→アメブロ→ウェブリの順で続き

現在に至るわけだけど

2008年晩夏、スポナビ様おうじと元編集長んちに迷い込んだのが

偶然だったのか、神さんと悪魔の共謀なのか

5年経ってもいまだに悩んでるよって、誰か答えくれ~

偶然だったのか、神さんと悪魔の共謀なのかといえば

この間、毎度おなじみ≪マルガリータ堺東店≫にて、洗礼目ヨゼフが

「運命って信じますかね~」

「運命論者ではないが、100%偶然とも言い切れない

偶然では説明出来ない、何とも摩訶不思議な巡り合わせって存在する」

19世紀、欧州航海中に転覆した客船があり

この客船乗客が救出してくれた他の船に乗ると、また転覆する

それが7回くらい続くと、さすがに皆、「呪われてるのか…」

巻き添え食う形になった救出側にも「この疫病神めが」と

最初の客船乗客に対する空気が険悪になったが

一人の医者の、「○○地方出身者いませんか」が一転させた

危篤状態の女性客、遠方にいる息子に会いたいというので

せめて心安らかに死なせてやるべく、息子の代役を探しており

「自分が○○地方出身だ」の青年が手を挙げると

この青年こそ、女性客の息子であったおかげで

母親は喜びのあまり生気を取り戻し、回復へ向かったとのこと

この奇談を目撃した全員、「天のお導きだ」

「神が別々の船に乗る母子を引き合わせるため

息子が母親の元へ辿り着けるよう、何度も船を転覆させたのだ

これだけの転覆繰り返しながら、死人が一人も出ていない

悪魔の仕業どころか神の恩寵じゃないか」

mathichenさんの場合

画像

マリア・マンデルMaria Mandel 、1912年1月10日 - 1948年1月24日)はナチス・ドイツの親衛隊における女性隊員(de:SS-Gefolge)。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の囚人管理長(en:SS-Oberaufseherin)を務めた。

オーストリアに生まれ、1938年に親衛隊に入隊。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスの指示の下に管理した。一説には、彼女の命令によって50万人を超える女囚(ユダヤ人、ロマ、政治犯など)が殺されたとされる。

ドイツの敗北後逃亡するも1945年8月に米軍によって拘束され、翌1946年11月にポーランドに引き渡され、1947年11月に死刑判決を受け、翌1948年1月に絞首刑を執行された。

Wikipedia:『マリア・マンデル』より引用 )

以下、FC2別館記事より

【苦悩の冠~死の蔭の谷にて~】

http://ameblo.jp/mathichen17/entry-11144462614.html

これは

【魂は軍靴に踏まれて】

(2011年1月21日Yahoo!独話別館&アメブロ別荘)

【鉤十字は或る日曜日、囚人ハミング認めた(実話)】

(2011年1月22日Yahoo!Days

2012年1月24日、アメブロにまとめた記事

記事に記してあるように

【魂は軍靴に踏まれて】は、2011年1月24日本館版がある

http://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/27893629.html

Yahoo!では、検索落ちになるのわかっていたものの

何故かしら、24日にも記事にしなければという気持ちに

その時は気づかず

しばらく経ってから読み直して絶句したのは

『マリア・マンデル(Maria Mandel

1912年1月10日 - 1948年1月24日)』

1月24日は、女子隊長様の処刑日だったこと…

ファニア・フェヌロン回想録を初めて読んだのは

1983年2月1日、17歳の誕生日

『マンデルの愛した子』をアタクシに書き残させたいが

17歳では若過ぎると考えた女子隊長様は

28年もの年月を用意、周到に待っていた

それをアタクシに知らせたのね

年食えば必ず賢くなれるわけではない

さりとて、若過ぎると、肝心な部分を見落としがち

何事も成功するには、時機(絶好機)に乗っからないと

そのため、いまが大事だからと過去を軽んじるべからず

見聞や歴史の積み重ねが、現在そして未来を引き出すの

良くも悪くもね

( 2013-05-31-Fri【人間は天上の掌の上のパーマン2号】より )

『マンデルの愛した子』を簡単に書くと

ポーランド系収容者から半ば取り上げた格好の坊やを

綺麗な服を着せて、おやつも与えて、手元に置いて

1週間ばかり、収容所内を坊や自慢、周囲を驚かせた後

マンデル自ら坊やの手を引いてガス室に連れて行った

誰かの話によれば

マンデルは、かつてユダヤ人男性に恋した経験がある

そのため、自分を厳しく断罪しているのだという…

女子隊長様は当時、32歳とまだ十分若い

主義信条と、女性としての内面の間に、葛藤あっても不思議でない

それを実感として理解させるには、ドイツ史お勉強含め

極東系独逸人ながらもドイツ人気質が身についた時機で

特別トシヨリではないが、若いわけでもない年齢である

亀の甲より年の功な45歳でないと無理だったんでしょ

人間の理解を超える物事は存在する

無駄な抵抗しないのが一番な物事がね