mathichen 雑記帳【Hatena版】

ウェブリ休憩所の保存庫

感動は人に頂戴するものでなく、自己の感性が決める

先週金曜日、真夜中、≪マルガリータ 堺東店≫

洗礼名ヨゼフが、両替用千円札を求めていた

ヘビースモーカーの女医先生が、また煙草を切らした

どちらの需要も、店から数分のローソン行くしかない

早い時間帯だったら、パシリいる日に限るが、彼に行かせる

真夜中だと、往復15分以内なら、常連客が店番可能ではある

が、極寒ながらも外気に当たりたかったアタクシが

一万円札持って出かけ、煙草とお釣りと、ついでに…

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…お駄賃代わりね。お好きな物どーぞ聞こえたしな~

この日は、バレンタインデーとやらの夜であった

どん兵衛white白ちゃんぽんうどんもオマケにつけ

「アタシの人生初チョコレートだぜ~」と同時に

人類は、麺類だ!ながら、何か悪寒働いたんで

ヨゼフに人体実験させたワケよ

日清のソチ五輪関連商品といえば

1週間後、つまり昨夜、ホワイトシチューヌードル配達した

チョコレートも追加してを追記しとく

白ちゃんぽんうどんに関しては、微妙な味だったとの感想

ホワイトカレー焼きそばも微妙な味なのよ(似た声多し)

ホワイトシチューヌードルも同様なら、失敗三拍子揃うわッ

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木曜日の夜、≪魚民≫で食べたしじみラーメン

+100円して、大盛(こんだけで3人前食べられる大食いだけど)

寒鰤の刺身、いか平焼き(とん平焼きの親戚風)をアテに

日本酒1合の燗を、2度お代わり注文、つまり3合呑んだ〆麺だ

こっちの方がよほど美味かったわッ

この日、通路はさんだ左側に、野郎コンビ客がいた

やい若ハゲ、靴下脱いで椅子に座り、足をトントン叩くなよ

頭の他に育ちの悪さが丸見え、生涯モテナイ保証してやる

若ハゲの背後、アタクシからだと左斜め後ろには、熟年親父コンビ

金融からソチ五輪まで、呑みながらウダウダ話していた

木曜日のソチ五輪といえば、真央ちゃん何で16位?てな感じで

ニッポン列島津々浦々、朝から五月蠅かったが

熟年親父の片割れが、亀の甲より年の功を発揮し

真央ちゃんの才能と実力を評価した上で、「騒ぎ過ぎや」

「あの子は決して超一流やないねん」

超一流でない根拠?それやがな、問題は~

さァ話が面白くなってきた所で、親父ども嫁が怖いのか、退店(惜)

昔々、ロシアがソビエト連邦の時代であった頃

音楽コンクールは、ソ連や東欧共産圏の演奏家にとって

優勝以外、何も価値持たなかった

準優勝以下だと、国家による支援受けられない?

どっか辺境の学校教師として埋もれる覚悟しとけ

優勝でもね、某女性演奏家はドサ回りが続き

遂に、国から貸与の銘器をホテルの部屋に置いて亡命した

真央ちゃんにすれば、自己最高の成果でしょ

しかしウィンタースポーツ、夏季なら水泳のように

高い記録出してナンボの競技や種目での6位なんて

どれだけの間、人々の記憶に残るのやら

情に流される幼稚な精神構造で、お涙頂戴ドラマにすぐ感動する

4年ごとに、別にスポーツ興味持たないのに、お祭り騒ぎ♪☆

一般ニッポン人の残念な国民性だ

極論を書くと

いま真央ちゃんに感動している連中は

頑張った♪頑張った☆と絶賛するが

頑張るのは仕事のうち、当たり前のことで特別な話じゃないのに

頑張った真央ちゃんの姿を借り

どう頑張ろうが社会(会社でもいい)の雑魚でしかない自分を慰める

そのようなもんだ

人間どんだけ長生きしようが

最初から叶わん夢もあれば

叶うかもしれんが挑戦機会訪れない事もある

C'est la vie ! ( これが人生だ ! )と達観するのが

男女ともにオトコ前の証明どすえ

真央ちゃんはソチ後、引退したら?

いま以上に余計な期待かけられても

いま以上の成果出せる年齢でなくなる一方なんだからさ

思うに

≪魚民≫親父ども、冷静に五輪やW杯の観戦するタイプやろ

三者の視点で批評や指摘が出来るの意味ね

ちなみに

アタクシが、「真央ちゃんの目、演技が見えてイヤらしい」

すると、某20代男子、「真央ちゃんより、ヨナちゃんに萌える」

燃える情熱がワッと表面に向かうタイプに萌えるみたいなの

それを聞いて、オランダの女性声楽家の言葉を思い出した

「マスタークラスで日本人の生徒を何人も教えていますが

彼らは何故、感情が内へ内へと向かうのでしょうか

同じアジア系でも、韓国の方々は真逆です

国によって特性の違いあるのは当然ながらも

その国だけに通じる特性では、世界的評価は得られません」

内へ内へタイプって、他人には何考えているか理解に苦しむ

自己主張ハッキリ見えるのが、採点や評価しやすい

という意味ね

なお、『頑張った』、採点や評価の対象になるのであれば

1972年、18歳の時に札幌オリンピックに出場。フリーではシットスピンで転倒、尻もちをつく失敗があったものの、その美しい演技は芸術点で満点の6.0も出るなど高得点を獲得したが、当時のルールで重要視されていたコンパルソリーが苦手であったため、合計点で3位にとどまった。この出来事は翌年からコンパルソリーの比重を下げ、ショートプログラムを導入する一因ともなった。演技中、着氷に失敗したにもかかわらず終始笑顔で滑っていたことは、全世界で大絶賛された。

Wikipedia:『ジャネット・リン』より引用 )

それでも笑顔崩さなかったジャネット・リンちゃん

彼女が史上最高だ、問答無用!