近距離の茶飲み仲間より、遠距離の盟友
前の記事から続いた
その前に、洗礼名ヨゼフ、一昨日は悪かったね
人間年取ると、丸くなるどころか短気になるもんよを学べたかい
100円引きの鍋焼きうどんが栄養になっていることを祈っとく
本題へ
昨夜というより今日、某セレッソ応援団と二人になった時
「あれでも、抑えたんだぜ」
女医先生が「お疲れさ~ん」の言葉とともに、アタシの肩ポンポン
昨日は機嫌悪く、ある例をさりげなく取り上げ、軽く牽制しといた
「先生が悪気持ってなかったのはわかってるけど
むやみと他人の身体に触れる、社会人として基本ダメ」
店が忙しい夜、先生がカウンター端っこに座った時、話相手したし
向こうは安心感というか、アタシが横にいると気楽なのはわかる
だけど、先生、アタシの娘になれる年よ
アタシが大英帝国臣民と同じく、四方50cm以内近づくなを抜きに
オバハンの肩ポンポン、軽率でしょ
相手によったら、その場で怒られるか、印象悪くする恐れ持つ
無礼講では済まない場合、自分だけでなく親まで恥かくのよ
先生は、お嬢様育ちに近いだけに
お嬢様はお嬢様なりに苦労と努力したのは認めるものの
ガツ~ンと痛手受けた経験持たないんだろうなと見る
女医先生、ヴィオラ奏者のサチヨねーさんと仲良し
昨夜も、あーだこーだと濃い話を展開していた
先生が帰った後、入れ替わる形で、中年スキンヘッド親父登場
サチヨねーさん、何を血迷ったか、何故ハGたかを質問した
身体は大きいが神経は細かい某セレッソ応援団
身体小さく気も小さいmathichenさん
二人揃って、「ネ、ねーさん、何を聞くねん…(怖)」
亀の甲より年の功である親父が人間出来ていたおかげ様で
無事切り抜けたものの、マジ怖かった
当のねーさん、天然Bの傾向見られるため
大木こだま・ひびきの漫才級ネタが急に変わるを繰り返した後
一緒にピザつまんだ別の親父とともに帰ったが
某セレッソ応援団は見送りながら、「ねーさん沸いてるわ」
確かに、ナニかが足りておらず、昨夜は沸いていた
ねーさんには少なくとも、制御役紳士が必要と見る
紳士、戒律や禁忌、何でもいい
上下関係始め距離感学べる制御機能、やはり社会には要るね
ヤクザ屋さん、あるいは、芸能界には、すぐ理解可能?
http://news.livedoor.com/article/detail/7110368/
浜ちゃんは松ちゃんのことを、『松本さん』と丁寧に呼ぶ
同年齢、小学校からの同級生、吉本総合芸能学院でも同期
なのに、浜ちゃんは何故、松ちゃんを上に置くのか?
理由は知らんが、きっと二人の間に働く力関係がそうさせるのだと思う
やっさんがどんだけ不祥事起こそうと擁護し続けたのは
かけがえの無い相方であるを認めていたにせよ
芸人として、やっさんが先輩であるためが大きかった
ところで、やっさんといえば
1986年頃、御堂筋歩いている時に見かけたら
どっかの偉いさんが恐縮するほど腰を曲げて
偉いさんをタクシーの上席に案内していたんだけど
上下関係厳しい芸能界で鍛えられたからこそでしょ
昔々、いいともの!のテレフォンショッキング出演時も
タモリの書く、次の人(土井たか子)へのメモ(実は、落書き)を見て
「コラ~、真面目に書けッ」、根は真面目だった証拠だ
根が真面目なのも、痛し痒しだけどね
「おねーさん、ヨゼフ、真面目過ぎませんかね」
「真面目過ぎる、それは、奴の何を指して?」
「あの人、いい人っすよ
いい人過ぎて、ハッキリ物言えないの
例えばの話、オレや○○なら、オ~ナ~と喧嘩出来る
ヨゼフはね、喧嘩が必要であっても、出来ないタイプなのよ」
某セレッソ応援団が一度、大説教された時も
大酒飲んだ力借りてだったとのこと
「彼自身、疲れる面あると思う
彼が壊れないよう、おねーさん、ちゃんと面倒見といてよ」
気が利くあまり、融通利かない、それは辛いわね
頭ごなしに押さえ込む上下関係、相手次第では考え物だ
数年前、アタシが知り合いから言われた言葉として
「おねーさんのYahoo!本館、アレでいいのよ
頭空っぽなフザケた奴がフザケたって、全然面白くなく
真面目というか、冷静な根幹持つ人の方が、説得力持つ
そういうもんなのよ、長続きするブログって」
ブログに限らず何でも、違いますかね?
ヨゼフの面倒見ろというなら
某セレッソ応援団は、アタシの面倒をシッカリ面倒見ろよ
先輩をアタシに売ってまで、白浜で宴会やりたいんだろ
真面目な話、宴会はアリだ
某セレッソ応援団は何しろ、体育会系が根幹に流れ
基本は、お客様は神様ですの姿勢で臨む
しかし必要とあらば、客も仕切り整理、秩序保つだけの能力抜群
アメと鞭の使い分け、接客業にはなかなか難しいものである
宴会費用アタシ持ちも、ご褒美+投資の一つとして考えとく
何であれ、たまに横道へそれようとも
物事成功させるには、基本と筋道が大事というオチよ
記事題名の意味
「去る者は日日に疎しというが
遠く離れていようが、わかり合おうとい言う意識が働けば
顔で笑っても上っ面なぞるだけの日常よりも、結びつきは深い
人の内面は誰にも推し量れないというならば
慣れ合いは一つ間違えば、不信と決裂招くを肝に銘じよ」